かじまやー風車(広報誌)

【沖縄の鍼灸史】3.那覇連合会結成

1924年(大正13年)に沖縄鍼灸那覇連合会が結成。
沖縄における鍼灸師の組織化は、各地の鍼灸師会が合同して沖縄鍼灸那覇連合会を設立したことによって始まる。
初代会長は、小野佐一郎氏。二代目に宮良長和氏、三代目に廣木起弘氏、四代目に外間守繁氏、五代目に田仲幸吉氏、六代目に廣木起弘氏と続く。三代目並びに六代目会長は、廣木起弘氏となっているが、日本鍼灸雑誌では新垣起弘となっており、後に改名したか、もしくは通称名を使用していた可能性がある。
那覇が那覇市になったのは、1921年(大正10年)5月20日。沖縄鍼灸那覇連合会が発足したのが1924年(大正13年)。日本鍼灸雑誌の記録によると、1927年(昭和2年)9月に第6回秋期総会が行われたという記録が有ることから、逆算すると会の結成は1924年3月であったと推測することができる。

注:日本鍼灸雑誌(大日本鍼灸医会編)は、1912年(明治45年・大正元年)から1939年(昭和14年)まで発行された鍼灸の専門誌。

▼当時の那覇市役所

注:町の中心部にあった那覇市役所は、1919年(大正8年)に建てられたもので、スパニッシュ様式で、中央部には5階建ての塔が設けられていた。
この塔から毎日、午前6時、正午、午後5時の3回、時を知らせる鐘が鳴り響いていた。

新聞広告
大正13年7月18日発行の琉球新報に小野鍼灸治療院の広告がある。

沖縄朝日新聞(宮城真治資料)には、大正14年1月29日の広告に「鍼灸治療開業・鍼灸術師宮良長智・久茂地大通り大湾小路大湾」とある。

鍼灸師会結成当初の記録は残ってないが、その頃の新聞を見るに、鍼灸師たちは何らかの形で活動していたことを伺うことができる。
1927年(昭和2年)9月30日:沖繩縣鍼灸師會六回春季總會を前乏毛通り三杉樓にて開催。来賓に、県衛生課・那覇警察署・各新聞記者が列席。引き続き、来賓、会員の親睦会を開催。

注:沖縄県鍼灸師会が総会を行った三杉樓は、那覇市の辻という花街にあった琉球料理の伝統を忠実に守り古くからのしきたりにも通じた格式の高い料亭。秋期総会では、沖縄県鍼灸師会という名称で総会を行っており、かなり早い時期に名称を沖縄県鍼灸師会に改めた可能性がある。
1928年(昭和3年)3月30日に沖繩縣鍼灸師會第一期滿了し、第二期七回春季總會を真教寺にて開催。會長に廣木起弘氏、副會長に外間守繁氏が就任。

注:真教寺は現在の那覇市西にある真宗大谷派の寺院。1884年田原法水氏によって開山された。沖縄戦で壊滅的打撃を受けたが、1972年に再建された。全国鍼灸医家名鑑(帝国鍼灸医報社)昭和14年発行には、沖縄県に10名の名前が掲載されている。
以下に全国鍼灸医家名鑑に記載されている名前を書き記しておく。

石森正孝、國吉景二、外間守榮、田場兼森、廣丈起弘、金城里安、徳嶺鍼灸院、石塚鍼灸院、渡久地政松、金城充榮
それ以外に全国鍼灸医家名鑑に記載はないが、地域で名の知られた鍼灸師として、宮良長和、田仲幸吉、徳嶺朝義、徳原盛一、久場長仁、首里市の花城ターリー、大里村銭又の屋宜グヮータンメー、浦添村港川の宇座タンメー、大里村与那原の我謝グワーウシータンメーなどの鍼灸師が地域住民の治療に当たっていたと言われており、当時はかなりの会員がいたのではないかと推測することができる。

注:全国鍼灸医家名鑑は、1939年(昭和14年)に帝国鍼灸医報社から出版された本で、当時の鍼灸医家の名前、所属、住所、資格、経歴などの情報を収録している。

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